「前庭複合感覚刺激が重度認知症高齢者に及ぼす影響」 仮谷妃呂子(OTR,MS)

学会名 第43回日本作業療法学会
会 場 ビッグパレット福島
開催地 福島県郡山市

【はじめに】
 認知症は初期から睡眠覚醒障害を高率に認め,最終的に無言無動など心身活動の極めて低下した状態となる事が多い.このような臨床像をもつ認知症高齢者の覚醒水準を向上させ表出反応を増加させることは医療・介護的にも重要である.発達障害分野を中心に,ゆらしなど前庭感覚を主とした刺激が覚醒水準に影響を及ぼすという報告は散見され,また急速に運動リズムが変化する刺激によって覚醒水準が向上することを我々は日常経験的に感じている.近藤1)は認知症高齢者に感覚刺激治療を行った結果,表情の改善等が得られたと報告している.
 そこで今回,覚醒水準の低下した重度認知症高齢者に非日常的で被動的な,ゆらしやすべりといった刺激(前庭複合感覚刺激と呼ぶ)を与えることにより覚醒水準が向上しかつ表出反応が増加したので,ここに報告する.

【対象と方法】         
1.対象 
 診断名が認知症(ADを含む)で日中の覚醒水準が低く,ADLは全介助レベルの介護老人保健施設入所者3名である.

2.刺激方法(刺激の程度はパイロットスタディーを実施し決定)
 ゆらし刺激:ロッキングチェアーに乗り不規則に揺れる
 すべり刺激:下り斜面を車いすで走行する

3.評価方法
・日中の覚醒状況:外部からの影響を可及的に排除するため,対象者にとってルーチンケアのない日曜日の1415時に観察した.
・夕食時の摂取状況:ADLの観点からは低い覚醒により施設生活の上で障害となっている食事場面を選択し,開眼や開口拒否の回数などを特に観察した.
・ゆらし及びすべり刺激前中後における表出反応:刺激前後10秒間と刺激中では表情や発語,身体運動といった表出反応の回数と強度を観察した.
・唾液中コルチゾール検査:侵襲性が低く心身のストレス状況を客観的に判断できるとされているため実施した.

【結果】
・日中の覚醒状況:全症例で特定時間内の覚醒時間の延長を認めた.
・夕食時の摂食状況:2症例において開口拒否の回数が減少し,1症例では開眼回数の増加を認めた.
・表出反応:統計処理の結果,全症例において表出反応の増加を有意に認めた.
・唾液検査:1症例において刺激を与えた期間毎にコルチゾール値の上昇を認めた.

【考察】
 今回の前庭複合感覚刺激が重度認知症高齢者の覚醒時間の延長と表出反応の増加に寄与することが示唆された. 与えた感覚刺激は生体の恒常性を乱す「外乱」と位置づけることができ,最終的なその情報は覚醒の経路でもあり,ストレス反応を含めて生存(恒常性維持)のための様々な情動表出プログラムがある視床下部に伝達される.また,このストレス反応にはコルチゾールとカテコラミンというホルモンが大きな働きをし,覚醒の向上などに作用するとされており,これらからも与えた刺激が,覚醒水準の低下した重度認知症高齢者に有効な影響を及ぼすことは考えられる.
 今回の介入のように,ストレスの少ないであろうと推測される対象者にとって,適切なストレスとして感覚刺激を与えるのは,心身の表出反応にも望ましい影響を与えるものだと考える.本人の意思表示が困難な状況下でも,人らしく日中は覚醒状態を保ち,少しでも表出反応を引き出そうとすることはリハビリテーションの理念に逆らうものでないことは明白である.
 本研究は名古屋大学倫理委員会の審査後,第一身元引受人のインフォームドコンセントを得て,十分な安全対策を施した上で,終始対象者の人権を擁護して行われたものである.
1)近藤敏:痴呆老人への感覚統合的アプローチの試み,作業療法,63),911987

ケースA
ケースB
ケースC