私たち日本人の平均寿命は著しく延び、2007年には、男性で79.2歳、女性で86.0歳になりました(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life07/03.html)。言うまでもなく、私たちは、長い一生の間に、老化や病気を経験いたします。現代医療は、私たちの誕生から老病死にいたるすべての場面で重要な役割を担い、私たちの寿命を飛躍的に延ばす原動力になってくれました。
医療の歴史をみますと、紀元前460年頃には、ギリシャで医聖ヒポクラテス(http://en.wikipedia.org/wiki/Hippocrates)が誕生し、同じ頃、中国では、伝説的な名医である扁鵲(へんじゃく)(http://ja.wikipedia.org/wiki/扁鵲)が活躍したとされています。それをはるかに遡ること2000年、紀元前2740年頃の中国の王であった神農(しんのう)(http://ja.wikipedia.org/wiki/神農)は、数え切れないほどの草木を嘗めて効能と毒性を確かめ、人々に医療と農耕の術を教えたとされています。その偉業から、中国では“神農大帝”と尊称され、今日でも、医薬と農業を司る神として崇拝されています。
1991年、神農の時代の医療を決して侮ってはならないことを教えてくれる歴史的な発見がヨーロッパでありました。アルプスの氷河で発見された男性のミイラ(http://www.iceman.it/)を詳しく調査したところ、なんと、その男性は、紀元前3300年頃、すなわち、神農の時代よりも500年も前、わが国の縄文時代に、45歳くらいで死亡していたことが判明いたしました。彼の所持品の中に、使途不明の乾燥したキノコがありました。当初、着火に使ったのではないかとされていましたが、その後の研究で、そのキノコが便通を調整する作用や抗菌作用を持っていることが判明いたしました。現在では、それは彼が悩まされていた寄生虫の治療薬であったと考えられています。また、彼は、全身に50箇所以上の点状あるいは線状の刺青(いれずみ)をしていました。興味深いことに、それらの位置は鍼灸(しんきゅう)のツボと対応しているとする研究結果も報告されました。鍼灸は、彼の死から2000年も後に東洋で始まったとされていますので、それが学説通りツボであり、彼が、そこに鍼灸に準じる何らかの処置を行ったのであれば、医療の歴史の長さには計り知れないものがあると言えます。
医療の話が長くなりましたが、今回テーマとした介護は医療のはるか以前から存在していたはずであります。私は、介護の源流は、鳥類や哺乳類、あるいは、一部の爬虫類が、種の保存のために行ってきた育児にあると考えています。人類誕生以前からの育児の経験が、今日、われわれ人類が実践している病気の人や高齢者の介護に最終的につながっていると想像しています。
財団法人長寿社会開発センター(http://www.nenrin.or.jp/)が発行したホームヘルパー養成研修テキスト2級課程 第2巻(2003年改訂版)によりますと、介護という言葉は、介助と看護を組み合わせて作られた比較的新しい言葉のようで、明治の末期に設立された廃兵院(http://ja.wikipedia.org/wiki/廃兵院)で使われるようになったとされています。わが国では、高齢化社会が著しく進み、高齢障害者の質の高い介護が不可欠となった1987年(昭和62年)、「社会福祉士及び介護福祉士法」が成立し、介護の専門的従事者としての国家資格を得た介護福祉士が誕生しました(http://ja.wikipedia.org/wiki/介護士)。
ナイチンゲール(Florence Nightingale 1820-1910 )は現代看護学の創始者としてあまりにも有名でありますが、現代介護学のルーツをたどれば、やはり、創始者としての彼女に行き着きます。すなわち、ナイチンゲールは、換気、陽光、暖房、清潔、静寂の保たれた居住環境で、施設内感染を最小限にくいとめられたうえで、患者が適切な食事を提供され、合理的な介護を受ければ、その生命力は飛躍的に向上することを見抜いていました。(http://ja.wikipedia.org/wiki/フローレンス)
今日まで、みずほの里では、ナイチンゲールの創案を遵守して施設内環境を整備し、多職種の職員が一丸となって、医学、薬学、看護学、介護学、リハビリテーション学、栄養学などの現代科学の知識と技術を駆使して学際的な介護(Interdisciplinary care)を実践してきました。そして、今後の重要課題として、個々の職員、ひいては、介護老人保健施設としてのみずほの里がさらに成長していくうえで不可欠である教育活動を掲げました。
教育活動の一環として、「施設案内」のところでご紹介いたしましたように、2008年には、大小2研修室に分割可能な地域多目的研修室を増築いたしました。これは、現在、主として当施設の職員の能力向上を目的とした教育の場として、各種訓練や研修などに際して使用されています。しかしながら、この設備は、文字通り、地域の行政や福祉にたずさわる方々にとりましては交流の場として、また、地域の皆様方には、各種の講座や講習会の場としてもご利用いただけます。この研修室を活用して、みずほの里の職員たちは、自分たちが学んで実践して肌で感じた「介護 -その癒しのちから-」の一端を地域の皆様方に定期的にご紹介することを計画しています。私たちは、自信と誇りをもって、みずほの里が「地域における介護福祉サービスの中核的存在」になりえたことをご紹介できる日が近づいていると認識しています。
開設から10年あまりを経て、みずほの里の学際的介護の成果は着実に蓄積されています。すでに、数年前から、一部の研究熱心な職員による学会発表や論文発表が行われ、「介護 -その癒しのちから-」が解き明かされつつあります。詳細は、このホームページの「トピックス」「学会・論文発表」「講演活動」を見ていただきたいと思います。みずほの里の職員が、表面的な見栄えの良さを求めて砂上の楼閣を築いているのではなく、切磋琢磨して、しっかりと大地に根をおろした真の学際的介護を提供できる施設の完成を目指していることがお解かりいただけるはずであります。
昨今、みずほの里の職員が研究・実践・教育に取り組む姿勢をみていますと、介護の職場のネガティブな3Kは影を潜め、好奇心旺盛な研究(K)・学んだことの現場での活用(K)・次世代の教育(K)の3Kが着実に進行していることひしひしと感じます。そして、これからの10年間で、加速度的に研究成果が蓄積され、みずほの里から介護・看護・リハビリテーションの世界でのトップランナーたちが輩出される日は近いと自負しています。皆様方には、ぜひとも評価者の眼でみずほの里の取り組みにご注目いただき、叱咤・激励を賜りますようお願い申し上げます。 (2009年10月5日記)
付記:本稿は、三重県松阪地区医師会(http://med.matsusaka.or.jp/)志田幸雄会長(http://www6.ocn.ne.jp/~s_m_h/)と石田亘宏理事(http://www.citydo.com/prf/mie/guide/sg/305001174.html)のご推挙を受け、2009年9月10日、松阪市松阪公民館(宮崎耐輔館長)(http://www.city.matsusaka.mie.jp/shougai/kouminkan/kouminkan.htm)で開催された寿大学Bコースで講義した内容をもとにして作成いたしました。
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